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しの~445

しの~445

健康が取り柄の私でしたが・・

親から授かった健康な身体は、私の自慢の一つでした。

身体が正常でなくなったのはいつ頃からだったろうか?
「変形性股関節症」と診断されたのは、H7年でした。
症状は、歩くたびに左足に痛みがあり歩行困難に、靴下を履くのもままならなくなり、それでも最初は「使痛み」ぐらいに思って、仕事が暇になれば治ると思ってました。痛みが酷くなり病院へ、病名を聞いてもその重大さはピンとこなくて。
最初の病院の先生は、リハビリで楽になるでしょうと・・完全に治すのは「手術」ですが、大変な手術で簡単にはできません。まず電気(リハビリの一つ)をかけに通って下さいと言われた。
私は、痛みなく歩ければそれでよかったのですが、年月がたち、楽になるより酷くなって、色々試しました。人が良いと言う噂を聞いては、整体や針や・・結局、仕事を続けると歩行困難では済まず歩けなくなると言われました。
H10年に退職しましたが、その頃はもう、医師からは杖の使用を言われてました。
でも、まだ4?才~遊んで暮らすには先が長過ぎます。
仕事を辞めて、体を治す事に専念しましたが、やはりもとのように歩けるようになるには「手術」しかない。
こう決めてからは、何処の病院にしようか?どの先生に私の命を預けるか?(大げさかな)人から教えてもらった名医と言われる先生のおられる病院をいくつかあたりました。
私が毎日リハビリに通っていた病院の先生も、勿論手術の執刀ができる腕のある方でしたが、リハビリに通うには大病院よりも個人病院の方が待ち時間が少なくていい点から、町医者に通ってました。だけど、私が入院するには、家族への負担も考えて、術後に付き添いの要らない大病院が適していると判断しました。
同じ病名でも、病院や先生の考え方で、入院期間やリハビリ、手術の内容に違いがあるのがわかりましたが、ここで詳しく書くと、私が避けた病院の先生方を悪く聞こえると困ります、人それぞれに体質や考え方も違うでしょうし、私が「この先生に体を預けてお願いしよう」と決めた先生は隣市の松浦先生(M先生)でした。
私の体のこと、家族の事も含めて、「私を治してあげよう」と言う気持ちが伝わったからです。
この先生の手術方法は、患者さんの年齢により違ってました。人工関節の部品の材質や手術方法etc・・私には、再度の手術に困らないはめかえ可能な方法を。

私が、はじめて診察してもらった病院の医師の話では、人工関節は10年ほどで再手術を要するから、勧められないと言われました。リハビリに通っても良くならず、その数年後病院を変わりました。今度は上手く使えば20年持たせられるのが開発されて来てますが手術はよ~く考えて、まずリハビリに通って下さいと。
私が、M先生に診察していただいた時は、悪い方の股関節の軟骨は、ほとんどなくなって足の長さが左右違ってきてました。このままでは段々酷くなるだけですよ、リハビリは気休めで治ったり、歩けるようになるのではない~今の人工関節の一番いいのは30年持つのもありますと言われて、決心しました。(医療の日進月歩を痛感し、迷いの数年も無駄ではなかった)
入院日数は、他の病院では1ヶ月で退院できると言われましたが、M先生は、「1ヶ月で家の中をナンとか歩けても、主婦業も外を出歩くのも駄目ですよ、2ヶ月病院に居れば、その間に外歩きも階段もリハビリして、心配なく家に帰れます。」この言葉から子供の夏休み期間に手術をお願いしようと決めました。


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